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中文翻訳編集:黄淑菁
英文翻訳:白須康子 英文翻訳:伊藤菜月妓 英文翻訳:坂元一枝 (2010.4月起) |
小学生1年生の暴力が5倍になったが、実はその理由は、ちょっと違う 部分にあった。というNEWSがあった。昔から対して子どもたちのいじめは 変わっていないのに、前にはその事件を、学校の中だけで済ませていたのが、 今は、警察に届けるのでその数が増したような数字がでるのだという。 最近の教育現場では、「悪い事は悪い事、暴力はいけない。ということを 子どもたちにきっちり教え、地域の人、警察など各所と連携したほうがいいので、 結果、暴力がったという数字が大きくなったのだろう」ということだった。 先日、私もある方から、大月市の生徒は他の学校の生徒と比べて、 どうですか?というような話を聞かれた。実は大月市の小学生の算数の出来が、 全国で最下位、、、という結果が出たからだった。けれど、少なくとも私が 呼ばれる小学校の生徒は、逆に山梨の他の地区比べても、とても純朴な 子どもが多い。もっと賑わった観光業の地区の子どもたちの通う小学校に 行った時など、あまりにませていて驚いたこともあったくらいだ。 ただ、大月市においても、ある小学校のある学年のクラスでは、 何も反抗しない男子を、たびたびいじめていている話などは 耳に入ることがあったが、そういういじめ事件があっても、警察に 相談とかしないで、学校と家族との、もちろん当事者たちの間で話し 合いがなされているから、地域の人にもあまり知られていないということは 逆にある。いじめの話を聞いていると、ストレスや貧困など、いじめる 側にはだいたい、普通に聞けば気の毒な理由があり、そしていじめられる 側にも、とてもいい子にしている。反撃しない。など、いじめる 方がいじめがいのある生徒だったりしている。 「大人のほうに絶対的な強さがない」「教師が甘やかし過ぎ」「親が人権団体に 訴えたり、責任追及、謝罪、損害賠償をしたりするから教師は手出し出来ない」 など、いろんな理由もついてくるようだ。子どものときに、善悪の区別が 分からないと、死ぬまで不幸がついて廻る事は明白だろう。 確かに昔は、道を歩く知らない人にも、すれ違う時にはお辞儀をしたり、挨拶をした。 あちらがこっちを知っていれば声をかけてくれたし、地域みんながその村、町の 子どもを世話している感覚は、子どもの自分でも感じられ、なにか困るとご 近所のおばさんに駆け込み、助けてもらったこともあった。学校というのは、 家庭、地域、その後にあって、そしてまた警察なんていうのは、子どもの自分には、 もっと遠い場所にあった気がする。むしろ、とても怖い存在だった。都会では 地域といっても、なかなか難しいかもしれないが、やはり小さなコミュニティのなかで、 大人が子どもたち全体を見守ってやる必要がどうしてもあると思う。 すぐに警察に届けるというよりも、そんなふうに地域が起きた問題をみんなで 考えることは、それぞれの学びにもなるだろう。けれど、どうなのだろう?昔と今の 視点で、良くなった点はないのだろうか?そのあたりについても 報道してもらえたらいいと思う。子どもたちは、世の中をそのまま映し出すから、 今の社会の姿がそのまま子どもの世界に反映もされると思う。 こういうNEWSを見た時には、やはり大人である私たちが、まずは、 自分を反省してみる必要もあると思う。
by cinniyan
| 2015-10-07 06:30
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