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中文翻訳編集:黄淑菁
英文翻訳:白須康子 英文翻訳:伊藤菜月妓 英文翻訳:坂元一枝 (2010.4月起) |
先日、石巻に行って来た。
震災後の復興は、どの地域においても大きな課題山積なのだろうし、 今の日本では地域の活性化は、どの町でも必要な状態になっているだろう。 石巻に、石の森章太郎の記念館があると知ったのは、石巻に着いてからだ。 石巻に行った理由は、また後でお話するけれど、まず駅に着くと人間大ほどの 大きなアニメのフィギュアが出迎え、町のあちこちに石の森先生の漫画の 主人公が登場してくる。 なぜ石の森先生の?と、私も思ったが、石の森章太郎氏は、宮城県出身だが、 がこの町で生まれたのではなく、石巻市長と石の森先生が1995年に対談し たことをきっかけに、当時、賑わいをなくし、シャッター街になった街の活性化に、 様々な情報を発信して賑やかにしたいということで、「マンガランド構想」 というものが持ち上がったことが始まりだという。 結局、石の森章太郎氏は60才で亡くなり、先生亡き後の2001年に 「石の森萬画館」がオープンする運びとなったのだという。 私の尊敬する画家の猪熊弦一郎先生も、ご自分がご存命なうちにご自分で自分の 美術館の模型、設計が出来て亡くなられているが、石の森先生も、ご自分で 模型を作り、デザインの構想もご自分でされたというので、そこは良かったなと 思う。 実際に出来上がった後で、2011年の震災に合い、大変な被害の末に、 2012年に再開されている。 調べてみると、市が7億以上の公的資金を導入したり、文部省が教育施設 復旧費として6億を出資したりと、その辺りのことは、もっと市民の身近な 大雨の浸水に対してとか、地域の復興のために予算を使って欲しいなどの声など、 多くの問題が今も残っているようだ。 けれど、じゃあ他に石巻の観光の目玉は?と問われたら、他にないという のも事実なようだ。 もちろん、そういう話は後で調べて知ったことで、私の感想は、石巻の街を 歩きながら、まだまだ震災の痛みを残した建物や、工事中の場所も多いし、 人通りはとても少ないし、まだまだ復興出来ていないことは痛感した。 そして、工事中の車を見ながら橋の向こうに、萬画館が見えた時には、 正直、とても不思議な感覚がした。 まさに、UFOが降り立ったような白い丸い建物が! この石巻の田舎な感じとのバランスの不思議さがあった。 けれど、中の充実感は素晴らしく、仮面ライダーファンならきっと喜ぶだろうな! と、歴代の仮面ライダーのマスクがズラリと並び、実際の漫画の原画も興味深い。 実寸の仮面ライダーの彫像とは、横に座って撮影出来る。 べつに石の森先生の作品の大ファンというわけでもなかったが、友だちと、 「ああ!、これ知ってる!」とか騒ぎながら楽しく廻ることが出来て、帰る頃には、 事務所におみやげに〜とか、結構盛り上がった。 私も、韮崎市のニーラや大月市での地方活性化の仕事もあるので、前に ゲゲゲの鬼太郎で街起こしに成功した境港市に行き、ゲゲゲの鬼太郎ロードも 歩いてきたが、いつかゲゲゲの鬼太郎ロードのような賑わいになっていくことが 出来たらいいと思った。 本物を持っていたら、そこの芯はぶれず、後は仕掛け次第でうまく行かせる ことが出来るだろう。 問題は、その地域に住む人々に喜ばれ、そういう建物がそこに住む人の 自慢に繋がるような、まずは街の人に愛され、みながもり立てようと頑張って いくことが、活性化に繋がると思う。 それにしても、途中乗ったタクシーの運転手さんなどと話すと、もちろん、 震災の心の傷は、なかなか癒されず、それでなくても東北の人というのは 辛抱強いし、寡黙だし、本当に震災の傷から立ち直るというのは、時間が かかるのだろうと、一生その傷は消えないのだろうとしみじみ思った。 けれど、それでも人は生きていくしかない。 被災者でない自分に出来ることがなくて、ほんとうに申し訳ない気持ちに なるが、その場所に行き泊まって、人々の話をお聞きしたり、買い物を することぐらいしか出来ないが、そんな中でも現地の方々との絆を深めて、 毎年にように訪れている方もいるようだ。 帰りには、いつもより石巻の魚のお土産を沢山買って帰ってきた。 また、機会があれば行きたいと思う。
by cinniyan
| 2018-01-12 07:44
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