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中文翻訳編集:黄淑菁
英文翻訳:白須康子 英文翻訳:伊藤菜月妓 英文翻訳:坂元一枝 (2010.4月起) |
「星ねこさんのおはなし」 さて、仁科さんの受賞作「ちいさなともだち~星ねこさんのおはなし」を、 ひろすけ童話と考えると、さまざまに共通点がありますが、 まず「相手を思う」という一致点があります。 「星ねこさんのおはなし」では、猫と魚という「相容れない存在」が 「交流を通して、相手を思いやる」という気持ちで描かれています。 それも一方的な思いではなく、お互いを思う気持ち。この展開が、 浜田廣介が描く世界との大きな共通性のように思います。 赤鬼と青鬼とそれを読む読者、龍と男の子、きつねとおばあさん、 さまざまな相容れないものが心を通じ合うようになるのが 「ひろすけ」童話の基本的な流れですが、仁科さんの作品の多くが、 やはり「心を通わせる」「相手を思う」ということで描かれていることを 考えると、まことに時代を越えた一致点が浮かんできます。 仁科さんは、こういう物語をなぜ紡ぎ出せたのでしょうか。 あるいは、なぜ猫と魚が一年もかけてわかりあっていく展開にしたのでしょうか。 「星ねこさんのおはなし」では、猫と魚が一緒に過ごす時間で心を 通わせていくことが描かれます。「一緒に過ごす時間」が、 「相手を思いやる」という結果を生んでいくことも、重要なポイントです。 忙しい現代、親も子も生活に追われ、一緒に過ごす時間を失っています。 それは「絆」が切れていくことであり、孤独な人間が増えることでもあります。 人は豊かさの中で「何かしてもらうこと」ばかりを考え、便利さの中で、 自分から相手に、あるいは世の中に何も働きかけない状態になっています。 お互いが認め合って、心を通わせるのには時間もかかりますが、現代社会は、 その時間さえ与えてくれず、人間関係は切れるばかりです。 そして、その結果、おそろしい事件も多く起こっています。 仁科さんの作品には表面から受け取れないかもしれないのですが、 そんな「時代性」を考えたものがこれまでのものでも多いのです。 この作品が、どこで「ひろすけ童話」とシンクロしているのか、 それは、やはり時代を見つめていかないとわからないことなのかもしれません。 グローバリズム ここ十数年の日本はグローバリズムにさらされて、さまざまな形で 「相容れないもの」がまじりあうようになってきました。 善と悪、外と内、意識と無意識・・・バカとリコウもそうでしょうし、 欲と無欲や豊かさと貧困など・・・価値観が多様になったばかりではなく、 基準がなくなってダブル、トリプルの基準が生まれていますから、 混乱が起きるのは当たり前のことでしょう。とにかく、かつてはあまり 差異のなかった日本に多くの「相容れないもの」が併存し始め、 ズレや暴走を形作っているのが現代です。さらに、おもしろい現象は、 何もかも認める、肯定するという傾向です。悪事を働いた人も肯定されたり、 どうしようもないものも認められたり、いわば価値の世界でも「なんでもあり」 が横行しています。そういうふうに感性を鈍くしないと生きられない世の中に なってきたように思います。でも、これは、昔もあったことなのかもしれません。 つまり、現象としての共通性が廣介の作品と仁科さんの作品にあるわけです。 廣介の作品に登場する「相容れぬもの」を見ていると、戦争に向かっていく時代に 歪んだグローバリズムがもたらしたさまざまな「違和感」が見て取れます。 おそらく廣介が生きた時代も、相容れぬものが、かなり多く混在していたことが 想像されます。現代と似たような社会状況にあったのではないでしょうか。 そして、それを乗り越えようとする思想が廣介の頭の中には あったのではないでしょうか。
by cinniyan
| 2013-07-24 06:30
| 私の絵本
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