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中文翻訳編集:黄淑菁
英文翻訳:白須康子 英文翻訳:伊藤菜月妓 英文翻訳:坂元一枝 (2010.4月起) |
加古里子さんが亡くなられたニュースが流れた。
92歳でいらっしゃった。 つい最近も脳学者の養老孟司さんと対談されたり、 今年1月には、新作を3冊出版されたばかりと、90歳 過ぎても、創作への情熱を失わない素晴らしい生きざまだった。 前に長寿な職業のトップに日本画家だとあって、その当時 グラフィックデザイナーだった私たちの仕事は、もっとも ストレスのかかる短命なほうにランクインしていたのを 覚えている。 加古さんほどの作家になると、ほとんど好きに仕事も 出来たのかもしれないが、ひたすら自分の好きな世界に没頭し、 生き生きと生を喜びながら生きるというのが、現役で長生き するコツなのだろうなと思う。 私は実は子どもの頃に加古さんの絵本は読んだ覚えがない。 どちらかというと、海外の絵に憧れていたし、たぶん加古さんの 絵本に夢中になる時代には、本どころではなく野生児のように、 野山を駆け回っていて忙しかったのだ。 まず、近くに本屋さんがなかったと思う。 最近の電子書籍やスマホで絵本を見せたりの親が増える 中、なんだか俄然、ここにきて更に、加古さんの絵本が注目されて いるような気がしていた。 なんだかほっとする安心感のある絵には、時代を越えた普遍的な 力があるように思える。中の内容は、まさしく子どもたちを夢中に させるものだし、そしてよくよく考えると、いろんなメッセージが 込められていた。 なんだか、加古さんはいつまでも生き続けて絵本を描いておられる ような気がしていたところに、このニュースだったので、 本当に残念な気持ちになった。 これまでの素晴らしい贈り物に感謝したい。 産経新聞に、とてもいい解説が載っていたのでご紹介したい。 「長く二足のわらじをはいていた。総合科学メーカー、昭和電工 の技術者として残業は当たり前、朝は誰よりも早く出社した。 週に2、3回は飲み屋で部下の愚痴も聞いた。すでに絵本作家 として、「だるまちゃん」シリーズなどベストセラーも出していた。 もっとも、絵筆を持てるのは、帰宅後と休日、通勤電車の中だけで ある。 ある日、やりたいことを書き留めたカードを数えたら200枚も あった。1日10時間かけても、10年以上もかかる。 定年を待っていられない、と役員を目前にして退職、47歳で 専業作家となった。19歳で敗戦を迎えた。戦意高揚を煽って いた大人たちは、手のひらを返すように、民主主義の時代を謳歌 していた。 これからは大人ではなく、子どもたちに尽くそう。 そんな思いで始めた紙芝居の活動が、出発点になった。 子どもたちは興味を失うと、「つまらない」ともいわずにいなくなる。 どうしたら、彼らの心に届くのか?、試行錯誤こそが修業だった」。 「子どもたちが先生だった」。後年、弟子入りを希望する若者に 決まってかける言葉だった。 加古里子さんが92年の生涯で残した作品は、600点を越える。 『からすのパンやさん』のようなユーモラスな作品から、工学博士 の知識を生かした科学絵本まで、作風は幅広い。鬼ごっこや 絵描き遊びなど、子ども文化の研究者でもあった。 今年1月には、沖縄や東日本大震災の被災地にささげる絵本も 出している。 旧制高校理科の国語担当は、中村草田男だった。昭和期を代表する 俳人から、手ほどきを受ける幸運にも恵まれた。 里子は、もともと俳号である。 戦後、俳句から離れ、童話作家でもあった師との再会は果たせなかった。 数少ない悔恨の一つであろう。」
by cinniyan
| 2018-05-11 07:44
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